高関さんのモーツァルトとベートーベン
2013/5/25(土) 14:00~ サントリーホール
日フィル 第650回東京定期演奏会
モーツァルト 交響曲第41番 ハ長調 K.551《ジュピター》
ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調 作品55《英雄》
指揮 : 高関 健
モーツァルトとベートーヴェン。どちらも好きでCDをよく聴く。ただ雑誌を見ながらだったり出勤前の着替えの最中だったり、「ながら」でBGMのように聴いていることが多いなぁ、と改めて気がついた。好きという割には聴き方もちっとも真面目じゃないしどう聴いたらよいかわかっていない。
またかつてN響の定期演奏会で遠く3階席から聴いたことがあったが「上手いなぁ、まるでCDを聴いているみたい」と感じたことを思い出した。特にモーツァルトは演奏者の個性が出せるものなのだろうか、またライブ感を感じることができるのだろうか、としばしば疑問を感じる。
ところが何と、今日の演奏会はそんな私でも心を動かされた。
オーケストラの配置はいつもと違って第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に分かれていた。またいつも見えないコントラバスさんが左後ろに見える。そのせいか、全体的に弦の低音がしっかりしていてしまりのある音のように感じた。
モーツァルトはそれに加え自分が聴き慣れたCDより金管の旋律が強調されているようだった。そのことがバッハの管弦楽組曲第3番やヘンデルの水上の音楽を思い出させ、古典的な色合いを強めていたように思う。特に感動したのは第4楽章。ゾクゾクしっぱなしだった。いろんな旋律がそれぞれの楽器群から聞えてきて響きあい、何とも知的で美しく立体的な響きであった。「音の建築物」とパンフレットに記載があったが、今回の演奏を聴いて初めて、なるほど、と思った。今回ばかりは正面の席で聴きたかったなぁ。どんな建築物が浮かび上がったのだろう。
後半のベートーヴェンが始まったとき、確かに楽器編成が巨大化したせいもあろうが、音色が重厚な湿ったドイツの空気にガラリと変わってびっくりした。どうせ「古典」でしょ、とモーツァルトもベートーヴェンも私の中ではイッショクタだったのが、ベートーヴェンってモーツァルトよりすごく新しいんだ、と実感できた。当時の聴衆はベートーヴェンの交響曲を最新の流行音楽として興奮しながら聴いたのだろう。そんな想像ができてうれしくなった。
今日の高関さん+日フィルの指揮と演奏は、細かいところまで考えられてすごく丁寧な印象を受けた。たとえば確かモーツァルトの第1楽章だったか、オーボエの短い旋律にとてもはっきりとした抑揚が付けられていたり。色々な旋律があちこちの楽器から浮き上がって聞えてきたり。その割には最終楽章では気持ちが入って演奏も盛り上がり、ライブ感も得られた。
ソナタ形式とか三部形式とか言われても本を流し読みした程度の知識では、聴いている音楽の理解の足しにはならない。モーツァルトやベートーヴェンの時代の聴衆はそんな知識はなかっただろうし評論家の記事が手に入るわけでもないだろう。聴衆が気持ちよい、わかりやすい、と感じる構成が後から形式として確立してきたのではないか。だから音楽を楽しむ上で形式やら調性についての知識は不要だと信じたい。でも音楽って絵画と違って、楽しむには一定の時間を拘束され、対象に集中することが求められる。その全体の形式を理解することはきっとより深い感動につながるのだろう。一瞬一瞬の音の響きや旋律に感動するだけでなく、もっと深く理解してより強い感動を得たいなあ、と感じた。やっぱり勉強は必要かぁ。
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