広上淳一

広上さんのツァラトゥストラなど

2017/7/8(土) 14:00 東京芸術劇場
日フィル 第692回 東京定期演奏会

モーツァルト  歌劇《魔笛》序曲
ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲
R.シュトラウス 交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》

指揮 : 広上淳一
ピアノ: ジャン=エフラム・バウゼ
管弦楽: 日本フィルハーモニー管弦楽団

広上さんの指揮ってどんなの?と聞かれたら
いままで答えられなかったけど、
今日の演奏は「しゃっきりしてた」って言えそう。
硬質で勢いがあって、元気で。

特に聴きなれている魔笛では、
そのように感じた。
オペラ観たくなった。

ラヴェルもツァラトゥストラも素晴らしかった。

ラヴェルはピアノの音の厚さに感動。
片手だと感じさせないほどの音の広がりと力強さ。
持っている録音ではピアノの音が物足りなくて、
聴いていてつまらない印象だったが
今日の演奏ではそんなことを感じることはなかった。
オーケストラの音も、
もし山田さんが振ったら
この音にはならなかっただろうな、と感じた。
広上さんの音の個性が感じられたことが、
今日の収穫だったかもしれない。

バウゼさんのピアノ、
アンコールで聴かせてくれた
ドビュッシーが印象的だった。
全体的なふわふわ感が、
あーフランス音楽、ドビュッシーだなぁ、
と感じさせてくれる一方で、
旋律は硬質な音で浮き出てきて、
こんな演奏もあるんだなぁ、と。

R.シュトラウスは、
「はっきりしなくてつまらない」と思いつつも、
不思議な和音につい魅了される、
自分にとっては不思議な作曲家。
今日もその感覚を味わうことができた。
テンポの揺らぎも自由自在、
とくにワルツの部分はぐぐっとテンポを落として、
優雅で楽しそうなワルツが目に浮かぶようだった。
私にとってはいい演奏だった。

芸術劇場のホールの音は派手目な印象。
モーツァルトよりは近現代の大曲を聴きたくなる。
座席のクッション、座り心地悪い。
帰りのエスカレーター、混みすぎ。
演奏とは関係ないところで文句が多い。

pen

201707

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広上さんの尾高惇忠と《運命》

2016/3/4(土) 14:00~ サントリーホール
日フィル 第678回東京定期演奏会

シューベルト 交響曲第7番 ロ短調 D.759《未完成》
尾高惇忠   ピアノ協奏曲(世界初演)
ベートーベン 交響曲第5番 ハ短調 作品67《運命》

指揮 : 広上 淳一
ピアノ: 野田 清隆

尾高さんのピアノ協奏曲は、自分が日本人であることを強く意識させられた。

第1楽章は「メシアンの香りがする!」と思ったところもあったけど、弦の高音やフルート、ピッコロの音は雅楽を思い起こさせた。マリンバは木造建築や寺院をイメージさせ、ピアノとクラリネットの対話は日本庭園に流れる風の音を表現しているようだ。単純なフレーズの繰り返しも仏教に通ずるものを感じたし、一方でその単純なフレーズが複雑に入り組んでいるのは日本の現代社会の生きにくさをイメージさせられた。

日本民謡の旋律を引用したりしているわけではないのに、これだけ日本を意識させられたのはすごいことだ、と思う。日本人が作る西洋音楽、現代音楽だから、そこに日本を感じられるのはとてもうれしく思う。

決して聴きやすい曲ではないと思う。いわゆる「現代音楽」だ。いくらシューベルトとベートーベンの間に挟んでも、そんなことくらいで簡単に騙されはしない。でも日本人であることを強く意識させられた点はとにかくすごい曲だ、と感じた。

現代音楽は初演された後2度と演奏されない曲がほとんどだという。でもこの曲は再演される機会があることを期待したい。

ストラビンスキーの「春の祭典」もメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」も、何度も生の演奏を聴く機会があるのに、なんと《運命》は今回が初めてだ。名曲を生演奏で聴くのはこんなに大変なんだ。

あの重苦しい第1楽章から第3楽章のピチカートを経て第4楽章が始まる、そんな苦悩から歓喜へ、という流れを追って聴いていると、改めて《運命》って名曲なんだなぁ、と思った。あの「ダダダダーン」っていうモチーフが手を変え品を変え全曲にわたりレンガのように構築されていくのを聴いていると、前半に聴いた尾高さんもその点は似ているなぁ、と思った。

3週間前にアマチュアの演奏で《運命》を聴いた妻は、今回の演奏を「躍動感がある演奏だった」と言う。そのアマチュアの演奏も爽快感があって素晴らしいものだったらしいが、演奏によってそれほど印象が変わることを実感できるのも演奏会の楽しみのひとつだと思う。

私は尾高さんの演奏を無事に終えた広上さんとオーケストラがいい意味でも悪い意味でも解放感に浸りながら演奏しているのを感じた。軽く流してなかった?本当はもっといい演奏ができたんじゃない?なんて、訊いてみたくなった。

どの楽章だったか、音にごたごた感を感じたところがあった。弦・管・打がお互いに響きあってなくてそれぞれが勝手に演奏している感じ。何かしっくりこなかったのは残念。

《運命》は「春にぴったりの曲」とも妻は言う。最後には、またがんばろう、って力が湧いてくるから。確かに。また4月から新しい気持ちで頑張ろう。私もそう思う。

《未完成》は爆睡。さすがに演奏中に夢までみたのは初めてだ。これには自分でもビックリ。生演奏で聴くのは3回目か、4回目か。毎回寝てしまう。これって、本当に名曲なんでしょうか。シューベルトさん、ごめんなさい。やっぱりわかりませんでした。

pencil

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広上さんのプルチネッラ、プッチーニ、デュティユーなど

2014/7/12(土) 16:00~ サントリーホール
日フィル 第662回東京定期演奏会

モンテヴェルディ  オペラ《オルフェオ》よりトッカータ
デュティユー    コレスポンダンス
ベルリオーズ    序曲《海賊》
プッチーニ     交響的奇想曲
プッチーニ     オペラ《マノン・レスコー》より第3幕への間奏曲
ストラヴィンスキー バレエ組曲《プルチネッラ》

指揮  : 広上 淳一
ソプラノ: 谷村 由美子

お客さんあっての演奏会、だからお客さんが今日はよかったな、とか、思って帰ってほしい。そんな広上さんのプレトークの言葉が印象に残った。だからそのために広上さんはすごく勉強をして楽譜を読み込んで、私が気がつかないようなことまで演奏に盛り込んでいるのだろう。いったい自分はその中のどこまでわかっているのか。なんだかもったいないような、申し訳ないような。

一方で言わせてもらえば、デュティユーのような曲を初めて聴いて作曲者や演奏家の気持ちや意図をわかって共感するのはちょっと無理だな、と思う。他人の往復書簡が音楽になりました、と急に言われても、あまりに哲学的で私だけでなく普通の人は聴いてすぐには理解できないだろう。デュティユーと同じ時代を生きたメシアンの方が自分にとって身近に感じるのは、テーマが自然や鳥など人間に共通のものだからだろう。さらに言えば標題音楽やバレエなど、音楽に具体的なテーマが与えられると逆にそのための知識や考察が必要になり、かえって音楽が遠いものになることもあるだろう。

散々わかりにくいと言いながらも皮肉なことに、コレスポンダンスが今日の演目の中で一番音が透き通ってキレイに感じた。谷村さんの声も迫力があったし。半分夢の中だったけど、それは感じることができた。反対にプルチネッラは現代音楽でありながら私たちでも共感しやすい距離にあると思う。

以前プルチネッラを聴いた時は全く共感できなかった。心のどこかで春の祭典や火の鳥を期待していたのだろう。でも今回YouTubeでバレエの映像を観てからは印象が変わった。現代的な舞台が曲にピッタリだった。バレエ・リュスの初演ではピカソが舞台と衣装を担当したと知り、イメージはさらに膨らむ。そんな予備知識にも支えられたのだろうが、ストラヴィンスキーはやっぱり天才だ、と感させてくれるスゴイ演奏だったと思う。

古典的な旋律と現代音楽が複雑に、しかも美しく混在し違和感がない。ちょっとふざけたような音もとても新鮮に響く。広上さんのいう「クロワッサンにジャムを塗って食べていたら時々辛子が混ざった感じ」というのがよくわかる。オーボエ、トロンボーン、トランペットはじめ、木管と金管の響きがすごくキレイだった。特に曲の最後のトロンボーンとトランペットはキラキラして最高だった。

無調と不協和音さらに変拍子のいわゆる現代音楽は、私たち一般人が受け入れるにはハードルが高い。でもプルチネッラのような新古典主義の音楽に現代音楽の進むべき道のひとつがあるのかもしれない。

今から思えばモンテヴェルディ、これも不思議な感覚だった。古典的な音楽が現代のキラキラした楽器で奏でられ、不思議な違和感を感じるこれも「新古典主義」だったかもしれない。

最後に一番ゾクゾクしたプッチーニのことを少し。どちらの曲もロマンティックで切ない、親しみやすい曲だった。どちらかというとさっぱり気味の演奏だったかもしれないが厚化粧よりはいいかな。優しい音で心が柔らかくなった。

「飲茶」のような演目をどういう風に楽しんだらいいのかな、と、「フレンチフルコース」形式を重んじる頭の固い私は戸惑いながらサントリーホールに足を運んだ。しかしながら終わってみると、プッチーニといいストラヴィンスキーといい、素晴らしい演奏に感動できた、いい演奏会でした。帰りには久しぶりにワインなど飲んだりして。wine

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三枝さんのレクイエム、武満さんの波の盆、柴田さんのシンフォニア

2013/7/13(土) 14:00~ サントリーホール
日フィル 第652回東京定期演奏会

柴田 南雄  シンフォニア
武満 徹   組曲《波の盆》
三枝 成彰  レクイエム~曾野綾子のリブレットによる

指揮  : 広上 淳一
ソプラノ: 釜洞 祐子
テノール: 吉田 浩之
合唱  : 東京音楽大学

今日のプレトークはよかった。
指揮者の広上さんと作曲家の三枝さんが登場、演奏前に本音トークを披露してくださった。広上さんは何とTシャツ姿、ざっくばらんな性格が伝わってきた。

前衛から聞きやすい曲へと作曲の方針を変更する大決断をしたこと、それによってメディアから総スカンを食ったこと、それが26年経った今でも変わらないこと、など、三枝さんの話は生々しかった。その話が事実だとしたら、なぜ前衛音楽でないとメディアの受けが悪いのか。なぜ聞きやすい音楽では記事にならないのか。またなぜそれが今日でも変わらないのか。音楽とメディア、音楽と時代の関係ってどうなっているんだろう、って考えてしまった。

また日本語は同じ意味を語るにも音数が多いという事実。また言葉には音の高さがあり作曲はそれに準じていること、典型的なのは演歌だけど、でも時々はずさないとつまらなくなること、など興味深い話であった。

現代音楽を聴く喜びのひとつは、同じ時代生きている作曲家のいわば生の音楽であること、またその音楽について作曲家本人の考えを知る機会があることだと思っている。特に今日は三枝さんの本音を聞いたし、会場には曾野綾子さんもいらっしゃったようだし、同じ空気のなかで演奏を聴けたことは貴重な体験であった。感謝。

とはいっても、正直、今日の演奏会は期待していなかった。高校時代にクラス対向の合唱コンクールを無理やり聴きに行かされる感覚だ。前述の素晴らしいプレトークを聞いて「まずは無心で聴いてみよう」って思い直して聴いてみると、確かにものすごい迫力と美しさであった。特に合唱の迫力はすごかった。ではあるけれども、やはり自分にとっては心には響かなかった。

その理由は自分でもはっきりわからないけれども、日本語でレクイエムを歌うことで宗教と音楽のつながりを改めて思い知らされ、さらにキリスト教を理解していないことを改めて思い知らされたこと、が主な理由かと思う。またモーツァルト、フォーレ、ヴェルディのレクイエムは皆好きだけど宗教曲という範疇を超えて音楽としてスゴイと思うのに対し、三枝さんのレクイエムは日本語の歌詞がわかってしまうためにどうしても宗教曲と意識せざるを得ない辛さがあるように思う。

もうひとつの理由は、日本語の合唱曲は前述の理由(日本語は音数が多い)からどうしても共通した「合唱曲臭さ」が出てしまうのではないかということ。高校時代の合唱コンクールを思い出す理由はここにあるのかもしれない。これは妻の推測。

これら演奏以前の問題を除いてみたとすると、気になったのは合唱の元気良さか。さすが学生の皆さんのせいか、迫力と元気良さが目立ち、お別れの寂しさのような気持ちは伝わりにくかったように思う。

一方で今日の演奏の中で一番印象に残ったのは「波の盆」。編成が小さいため、いつも見えないコントラバスさんの背中が見える。そのせいか、低音が心地よく響く。自宅の自慢のGENEVAスピーカを100個並べても生の音にはかなわない。身体全体で音を感じることができるのが演奏会のよいところだ。きれいな演奏だった。

またこの曲には日本人にしかわからない何かがある。ちょっと湿った夏の風のようなメロディーだったり、日本の風景を思い出させるような何かだったり。ブラームスの音楽はドイツ人でないとわからない、というドイツ人がいるという話を何かの本で読んだことがあるが、武満の音楽には日本人にしかわからないものがある、と思いたい。ノヴェンバーステップスの録音を退屈のあまり最後まで聴き通すことができない私があまり断言はできないが。

柴田さんのシンフォニアもいい演奏だったと思う。こういう無調の曲に拒否感はないのだけれども、曲からイメージできる映像が湧き出てこない。何も日本人作曲家でなくても、と思ってしまう。

今回は残念ながら感動することは少なかったけれども、帰宅後いろいろと考えることが多い、不思議な演奏会であった。

次回はワーグナーか。これも辛いな。

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広上さんのシュトラウス、シューベルト、ベートーベン

10/22(土) 14:00~ サントリーホール
日フィル 第634回東京定期演奏会

シューベルト   交響曲第3番 ニ長調
ブラームス    ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
R.シュトラウス 《町人貴族》組曲

指揮    : 広上淳一
ヴァイオリン: ボリス・ベルキン
ピアノ    : 野田清隆

広上さんがとても楽しそうに踊るように指揮をされていて、それを見ているだけで楽しくなる演奏会だった。

シューベルトはいままで聴く機会がほとんどない作曲家だった。控えめで刺激がなく退屈だ、という先入観を持っていたこともある。今回交響曲第3番を聴いて意外に聴きやすいことを知った(歳のせいかな?)。調べるとロッシーニの影響ということが書かれているがロッシーニもあまり聴かないのでピンと来ない。私としてはモーツァルトとベートーベンを足して2で割ったような印象を持った。

生で聴いてどう感じるか楽しみにしていたが、今日の演奏は残念ながらあまり好きにはなれなかった。ティンパニの音がパコーンパコーンと軽すぎて、曲全体の雰囲気からずれているように感じた。演奏全体もなんとなくシャカシャカして落ち着いた感じがなかったように思う。高音が強めだったのだろうか。好みの問題だろうか。2楽章はゆったりした最初と少し早めの中間部の対比が面白く素敵な演奏だと思った。音も他の楽章に比べて落ち着いた感じがした。

ブラームスはオーケストラがとても美しいと思った。中低音の重厚感とヴァイオリン高音の神経質な雰囲気がどちらも感じられ、自分の持っているブラームスのイメージと重なった。2楽章の出だしのオーボエソロもお見事!とてもロマンティック。弦も管もヴァイオリンソロを引き立ててでしゃばらず、上品な演奏だったと思う。ティンパニの音も良かったと思う。なんでシューベルトだけあんなにズレて感じたのだろう。

引き立て役のオーケストラもよかったけどヴァイオリンソロのベルキンさんはオーケストラの音に埋もれずさすがに迫力だった。ヴァイオリンやチェロ協奏曲はオーケストラに同じ楽器があるから主張がないと埋もれてしまうと思うけど、今日の演奏はしっかり聴こえた。ただ音がとてもワイルドで時には雑に聴こえて私の好みではなかった。

そういえばべルキンさん、ステージに上がる直前まで舞台袖で大きな声で広上さんとお話していたようでその声が漏れ聞こえてきた。さすが大物。。?

シュトラウスはCDで聴いているうちはなかなか馴染まなかったけど今日の演奏は楽しむことができた。室内楽のような小さな編成でピアノが中心に据えてある。音がとても上品できれいで、うっとりしてしまった。

特にコンサートミストレスの江口さんのヴァイオリンは甘くて繊細で色気があり素敵だった。私はベルキンさんより江口さんの音のほうが好きだ。音量と繊細さは相反するものなのだろうか。どちらも望むのは贅沢なのだろうか。もしそうだとしたら、やっぱりブラームスのヴァイオリンソロはベルキンさんがよかったし、シュトラウスは江口さんがよかった。

7曲目の出だしのヴィオラのソロの音もきれいで感動してしまった。ヴァイオリンと違ってヴィオラやチェロの音は落ち着く感じがする。

上品できれいな演奏。
広上さんの風貌からは想像しにくいけど、そんな印象をもって会場を後にした。

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広上さんのハイドン、ヒンデミット、シュトラウス

7/9(土) 14:00~ サントリーホール
日フィル 第632回東京定期演奏会

ハイドン     交響曲第60番《うつけ者》
ヒンデミット   交響曲《画家マティス》
R.シュトラウス 組曲《薔薇の騎士》

指揮  : 広上淳一

地味な選曲…と思っていたがそうでもなかった。

 《うつけ者》はもともと戯曲の付随音楽を6曲まとめて交響曲にしたものと知り、改めて聴くとなんとも楽しい曲だった。広上さんの指揮がいいのか各楽器群がそれぞれしっかり聴こえていわゆる古典音楽のアンサンブルの美しさを久しぶりに感じた。最終楽章のちょっとしたふざけた寸劇?もスパイスになってよかったかな。
 ハイドンの曲を演奏するにはサントリーホールは響きすぎると思う。でも休符をしっかり取ってくれたためか音はクリアで違和感は感じなかった。
 《うつけ者》は完全に予習不足だったけど新しい発見があったしアンサンブルの美しさに魅せられた。

 広上さんの演奏は、見かけによらず(失礼!)上品かな、と感じたのは《画家マティス》だった。強音の箇所でも音が美しい。音楽は見映えじゃない。改めて思う。またこの曲はイヤホンで録音音源を聴いてもちっとも面白くないけど今日の演奏は引き込まれた。それぞれの楽器がそれぞれの個性で共鳴している感じ。
 やっぱり音楽は生だ。生の音楽を身体全体で聴くのって素晴らしい。

 色彩感がある、ってよく言われるし自分でも使うけどそれって何だろう。ラヴェルとシュトラウスは色彩感があるなぁって思うけど自分はいったい何にそう感じているのだろう。具体的な映像をイメージできることもあるかも知れない。でももっと強い原因は独特の和音だと思う。それがどんな構成の和音なのか知識がなくわからないけどふわ~って広がる空間の広さを感じさせるような和音。そんな和音を使いこなす作曲家がいて、また見事に再現する指揮者とオーケストラがいるということだ。

 ちょうど一週間前、食あたりでダウンし、土日を含む5日間まともな食事が摂れずに苦しんだ。仕事をこなし、美味しく食べ、時々音楽を聴くこと。こんな当たり前のことが体調を崩しただけで全て崩れ去る。幸せとは幸せを感じることだ、と何かに書いてあったが本当だと思う。今日の演奏会はいつもより身体全体にずしりと響いた。

 ところで広上さんの後ろ姿は、なんと、チェロの菊地さんの後ろ姿とそっくりだ。

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広上さんのベートーベンとスクリャービン(日フィル 7月東京定期)

7/10(土) 14:00~ サントリーホール
日フィル 第622回東京定期演奏会

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番
スクリャービン 交響曲第2番

指揮  : 広上淳一
ピアノ : ファジル・サイ

日フィルのよさを改めて実感できた演奏会でした。

 ベートーベンのピアノ協奏曲第3番は以前N響で聴いたことがあったので生で聴くのは今回が2回目。1回目は「ベートーベンでしょ、はいはい、こんな感じで。指揮者はとりあえず棒振っててくれればいいですから」なんて声が聞えてきそうなN響の演奏でした。N響はうまいなぁ、ってだいたいいつも思うけど、あんまり驚きや感激がないことが多いです。今日の日フィルは第1楽章の出だしから「おっ」と思いました。強弱のコントロールというか寂しくはかなげな音を繊細に出していたように感じました。またファジル・サイさんのオーケストラに向けた視線がジャズやロックのバンドの仲間のようで、会話が聞えてきそうでした。「ハィ!続きを頼むよ」みたいな。いままで見た協奏曲のソリストとはちょっと違った雰囲気でした(そういえば以前仲道郁代さんのピアノでも同じような雰囲気を少しだけ感じたことがありました)。指揮者を見るというよりオーケストラと対話をしているような。そのせいか、オーケストラからもピアノを盛り上げたい、という気迫のようなものを感じることができました。これが日フィルのいいところだと思いました。
 ピアノの音はというと繊細さと乱暴さが同居しているようで「え~これがベートーベンですかぁ」といい意味でも悪い意味でもびっくり。カデンツァも現代的な21世紀バージョンという感じでした。ファジル・サイさんには何かと驚かされましたが、驚きこそが感動のパラメータのひとつだと改めて実感しました。
 さらにファジル・サイさんのアンコールを聴いて、なんだか今日のベートーベンを受け入れる覚悟のようなものができました。なんとまぁ色彩豊かなピアノだこと。クラッシックだジャズだというジャンルを通り越してピアノの音の美しさに魅せられました。とても現代的で色彩豊かなファジル・サイさんのピアノとベートーベンのミスマッチが今日の演奏の驚きであり感動でもありました。

 広上さんの指揮もとても素敵でした(うなり声がうるさ~い)。マメダヌキというのがぴったりな短い手足(失礼!)を駆使して指揮する姿は「こぶし」が効いた感じではありましたがいやいやとても素敵な音が響いていたように思いました。計算ずくなのでしょうが、私が大好きなサントリーホールの残響が程よく響きこれも心地よい。次の演奏会はいつかな?楽しみです。

 スクリャービンはCDで聴くより生の方がずっとよかった。3楽章の始まりのフルートとバイオリンソロの演奏は素敵でした。こんなきれいな楽章だったのかと改めて知りました。演奏機会が少ない曲だとプレトークで聞きましたがもったいない気がします。自宅に着くまで最終楽章が頭の中で鳴り響いていました。ただなんとなく全体的にザワザワ感というか音がシャキッとクリアに聞えないな、と感じたのはもともとそういう曲なのか演奏のせいなのか、それはわかりませんでした。

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