ラザレフさんのショスタコーヴィチ15番を、両陛下とともに。
2016/7/9(土) 16:00~ サントリーホール
日フィル 第682回東京定期演奏会
日フィル 第682回東京定期演奏会
グラズノフ バレエ音楽《四季》作品67
ショスタコーヴィチ 交響曲第15番 イ長調 作品141
ショスタコーヴィチ 交響曲第15番 イ長調 作品141
指揮 : アレクサンドル・ラザレフ
今日は、書くのを止めよう、と一度は思った。
何故って、久しぶりに妻が感動するほどのいい演奏を、爆睡のあまり聴き逃したから。いい演奏に反応できないくらい自分は鈍感かい、とちょっと凹んだ。
遠くかすかに聞こえるグラズノフはノリノリで緊張感があり、それでも眠りに落ちる自分が恨めしかった。いい演奏であったことは、演奏後の拍手でラザレフさんが舞台に4回も呼び戻されたことでもわかる。週末に感動が味わえなくなるくらい、ウィークデーに仕事を頑張ってはいけない。ワーク&ライフバランスの時代だから。
それでも書こう、と思った理由は2つ。
後半から天皇皇后両陛下のご来席があり、日フィルにとっても、自分にとっても、記念すべき演奏会になったこと。
それから、後半のショスタコーヴィチが(前半寝たおかげで)心に残ったこと。
演奏会の会場に似合わないSPみたいな目つきの怖いおじさんが多いなぁ、と思っていたら、なるほど、両陛下のご来席だったらこの警備は理解。私の席のすぐ隣のブロックをほぼ貸し切り、物々しい警備の下でショスタコーヴィチを楽しんでいかれた。観客は拍手でお出迎え、10人くらいはいただろうか、緊張気味の報道陣も与えられた数分のうちにカメラを構えた。
ラザレフさんも演奏前に両陛下に向かってお辞儀、そんな普段と違う流れの中でも会場全体がピリピリした雰囲気にはならず穏やかな空気に包まれていたのは両陛下のお人柄であり、また日本国民の天皇家に対する敬意の表れなのだろう。
演奏後、観客は拍手で、団員は起立してお見送り、両陛下はしばらく拍手に応えて手を振っていらっしゃった。日本人でよかったな、ってなんとなく思った。こんなシーンには二度と出会うことはないだろう。
しかし、ロシアの軍事力を懸念したNATO軍が周辺国に軍事増強、というニュースをたまたま観たその日に、ロシア人指揮者がロシアの作曲家の曲を演奏するのを、天皇皇后両陛下がお聴きになる、というのは、何か政治的な意図を感じてしまったりする。いやいや、政治と音楽は別、政治音痴の私はこれ以上書かない。
そう、気を取り直して書き残そうって思ったのは、両陛下にお会いできたから、だけではない。後半のショスタコにいろいろな思いが駆け巡ったから。
ショスタコーヴィチはこの15番の作曲にあたり「陽気な交響曲を作りたい」と言ったと伝えられているが、結果として陽気なのは1楽章だけであり、1楽章を含めた全楽章は思い切りショスタコーヴィチワールドだと思う。
音楽ってなんと正直なのだろう、と思う。作曲に限らず、演奏することも、聴くことも(寝てしまうことも)、結局のところ今ここの自分でしかないのだ。音楽は真実、ともいえる。
全楽章通して心に染み入る演奏だったなぁ、いい曲だなぁ、と感じることができたけど、特に2楽章、4楽章が自分にとってはよかった。
2楽章はただ暗いというのではなく、心の中の閉塞感といおうか、行き詰まり感といおうか、今の時代にも通じるものがある。これだけ大きなオーケストラで小編成のアンサンブルのようにいろいろな楽器が語り合うようなところが心の中の葛藤を描いているようにも感じる。心の沈黙を、静かに静かに、ラザレフさんは表現していた、と感じた。
ラザレフさんの日フィル首席指揮者としての歩みが4楽章と重なる。一歩一歩、歩き続けてここまで来て、静かに締めくくる。最後の音が会場全体に、観客全体に染み込んでいく時間を十分楽しませていただいた。
両陛下が退席されたあとも、拍手は鳴りやまなかった。
桂冠指揮者兼芸術顧問として、さらに素晴らしい音楽を期待しています!

今日は、書くのを止めよう、と一度は思った。
何故って、久しぶりに妻が感動するほどのいい演奏を、爆睡のあまり聴き逃したから。いい演奏に反応できないくらい自分は鈍感かい、とちょっと凹んだ。
遠くかすかに聞こえるグラズノフはノリノリで緊張感があり、それでも眠りに落ちる自分が恨めしかった。いい演奏であったことは、演奏後の拍手でラザレフさんが舞台に4回も呼び戻されたことでもわかる。週末に感動が味わえなくなるくらい、ウィークデーに仕事を頑張ってはいけない。ワーク&ライフバランスの時代だから。
それでも書こう、と思った理由は2つ。
後半から天皇皇后両陛下のご来席があり、日フィルにとっても、自分にとっても、記念すべき演奏会になったこと。
それから、後半のショスタコーヴィチが(前半寝たおかげで)心に残ったこと。
演奏会の会場に似合わないSPみたいな目つきの怖いおじさんが多いなぁ、と思っていたら、なるほど、両陛下のご来席だったらこの警備は理解。私の席のすぐ隣のブロックをほぼ貸し切り、物々しい警備の下でショスタコーヴィチを楽しんでいかれた。観客は拍手でお出迎え、10人くらいはいただろうか、緊張気味の報道陣も与えられた数分のうちにカメラを構えた。
ラザレフさんも演奏前に両陛下に向かってお辞儀、そんな普段と違う流れの中でも会場全体がピリピリした雰囲気にはならず穏やかな空気に包まれていたのは両陛下のお人柄であり、また日本国民の天皇家に対する敬意の表れなのだろう。
演奏後、観客は拍手で、団員は起立してお見送り、両陛下はしばらく拍手に応えて手を振っていらっしゃった。日本人でよかったな、ってなんとなく思った。こんなシーンには二度と出会うことはないだろう。
しかし、ロシアの軍事力を懸念したNATO軍が周辺国に軍事増強、というニュースをたまたま観たその日に、ロシア人指揮者がロシアの作曲家の曲を演奏するのを、天皇皇后両陛下がお聴きになる、というのは、何か政治的な意図を感じてしまったりする。いやいや、政治と音楽は別、政治音痴の私はこれ以上書かない。
そう、気を取り直して書き残そうって思ったのは、両陛下にお会いできたから、だけではない。後半のショスタコにいろいろな思いが駆け巡ったから。
ショスタコーヴィチはこの15番の作曲にあたり「陽気な交響曲を作りたい」と言ったと伝えられているが、結果として陽気なのは1楽章だけであり、1楽章を含めた全楽章は思い切りショスタコーヴィチワールドだと思う。
音楽ってなんと正直なのだろう、と思う。作曲に限らず、演奏することも、聴くことも(寝てしまうことも)、結局のところ今ここの自分でしかないのだ。音楽は真実、ともいえる。
全楽章通して心に染み入る演奏だったなぁ、いい曲だなぁ、と感じることができたけど、特に2楽章、4楽章が自分にとってはよかった。
2楽章はただ暗いというのではなく、心の中の閉塞感といおうか、行き詰まり感といおうか、今の時代にも通じるものがある。これだけ大きなオーケストラで小編成のアンサンブルのようにいろいろな楽器が語り合うようなところが心の中の葛藤を描いているようにも感じる。心の沈黙を、静かに静かに、ラザレフさんは表現していた、と感じた。
ラザレフさんの日フィル首席指揮者としての歩みが4楽章と重なる。一歩一歩、歩き続けてここまで来て、静かに締めくくる。最後の音が会場全体に、観客全体に染み込んでいく時間を十分楽しませていただいた。
両陛下が退席されたあとも、拍手は鳴りやまなかった。
桂冠指揮者兼芸術顧問として、さらに素晴らしい音楽を期待しています!


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