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広上さんのプルチネッラ、プッチーニ、デュティユーなど

2014/7/12(土) 16:00~ サントリーホール
日フィル 第662回東京定期演奏会

モンテヴェルディ  オペラ《オルフェオ》よりトッカータ
デュティユー    コレスポンダンス
ベルリオーズ    序曲《海賊》
プッチーニ     交響的奇想曲
プッチーニ     オペラ《マノン・レスコー》より第3幕への間奏曲
ストラヴィンスキー バレエ組曲《プルチネッラ》

指揮  : 広上 淳一
ソプラノ: 谷村 由美子

お客さんあっての演奏会、だからお客さんが今日はよかったな、とか、思って帰ってほしい。そんな広上さんのプレトークの言葉が印象に残った。だからそのために広上さんはすごく勉強をして楽譜を読み込んで、私が気がつかないようなことまで演奏に盛り込んでいるのだろう。いったい自分はその中のどこまでわかっているのか。なんだかもったいないような、申し訳ないような。

一方で言わせてもらえば、デュティユーのような曲を初めて聴いて作曲者や演奏家の気持ちや意図をわかって共感するのはちょっと無理だな、と思う。他人の往復書簡が音楽になりました、と急に言われても、あまりに哲学的で私だけでなく普通の人は聴いてすぐには理解できないだろう。デュティユーと同じ時代を生きたメシアンの方が自分にとって身近に感じるのは、テーマが自然や鳥など人間に共通のものだからだろう。さらに言えば標題音楽やバレエなど、音楽に具体的なテーマが与えられると逆にそのための知識や考察が必要になり、かえって音楽が遠いものになることもあるだろう。

散々わかりにくいと言いながらも皮肉なことに、コレスポンダンスが今日の演目の中で一番音が透き通ってキレイに感じた。谷村さんの声も迫力があったし。半分夢の中だったけど、それは感じることができた。反対にプルチネッラは現代音楽でありながら私たちでも共感しやすい距離にあると思う。

以前プルチネッラを聴いた時は全く共感できなかった。心のどこかで春の祭典や火の鳥を期待していたのだろう。でも今回YouTubeでバレエの映像を観てからは印象が変わった。現代的な舞台が曲にピッタリだった。バレエ・リュスの初演ではピカソが舞台と衣装を担当したと知り、イメージはさらに膨らむ。そんな予備知識にも支えられたのだろうが、ストラヴィンスキーはやっぱり天才だ、と感させてくれるスゴイ演奏だったと思う。

古典的な旋律と現代音楽が複雑に、しかも美しく混在し違和感がない。ちょっとふざけたような音もとても新鮮に響く。広上さんのいう「クロワッサンにジャムを塗って食べていたら時々辛子が混ざった感じ」というのがよくわかる。オーボエ、トロンボーン、トランペットはじめ、木管と金管の響きがすごくキレイだった。特に曲の最後のトロンボーンとトランペットはキラキラして最高だった。

無調と不協和音さらに変拍子のいわゆる現代音楽は、私たち一般人が受け入れるにはハードルが高い。でもプルチネッラのような新古典主義の音楽に現代音楽の進むべき道のひとつがあるのかもしれない。

今から思えばモンテヴェルディ、これも不思議な感覚だった。古典的な音楽が現代のキラキラした楽器で奏でられ、不思議な違和感を感じるこれも「新古典主義」だったかもしれない。

最後に一番ゾクゾクしたプッチーニのことを少し。どちらの曲もロマンティックで切ない、親しみやすい曲だった。どちらかというとさっぱり気味の演奏だったかもしれないが厚化粧よりはいいかな。優しい音で心が柔らかくなった。

「飲茶」のような演目をどういう風に楽しんだらいいのかな、と、「フレンチフルコース」形式を重んじる頭の固い私は戸惑いながらサントリーホールに足を運んだ。しかしながら終わってみると、プッチーニといいストラヴィンスキーといい、素晴らしい演奏に感動できた、いい演奏会でした。帰りには久しぶりにワインなど飲んだりして。

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