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尾高さんとN響のブルックナー7番

5/15(土) 15:00~ NHKホール
N響 第1674回定期演奏会


武満徹 ノスタルジア~タルコフスキーの追憶に~
ブルックナー 交響曲第7番(ハース版)

指揮 : 尾高忠明

 私のブルックナー好きは2007年6月定期演奏会の尾高さん指揮N響の交響曲第8番を聴いて以来です。尾高さん、あなたのせいですよ。こんなに長くて疲れる曲を好きになってしまいました。前回はゆったりとして神々しい、まるでレクイエムのような8番にすっかり打ちのめされたけど、今回はどんな7番が聴けるのだろう。

 武満のノスタルジアをCDで聴いて思い出したのは、2008年2月のチョン・ミョンフン指揮のブルックナー7番と一緒に演奏したメシアンのキリストの昇天。あの時は「予習」なしだったものの神秘的な感覚に包まれ、とても感動したことを思い出します。現代音楽こそ生演奏の良さを強く感じることができるジャンルではないかと思います。

 実際に聴いたノスタルジアは小さな弦楽編成で繊細な音を奏でていました。NHKホールじゃ大きすぎるなぁ、サントリーホールで聴きたい!20年以上前、学生時代に観た映画の「ノスタルジア」の記憶はほとんどないけど、林を通り過ぎていく風と葉のざわめきといった大自然の美しさを表現できているなぁ、と生の演奏を聴いて初めて感じることができました。大自然に存在する美しい不協和音。これが武満の表現したかったことではないか、と勝手に納得しました。一方、ブルックナーより武満を楽しみにしていた妻は、「きれい過ぎてどうも」と今ひとつの評価。「他の日本人指揮者が振ったらもっと違う音が出るのでは」と。もっと朴訥とした?不協和音を期待していたみたい。今回は妻と意見が分かれました。それから堀さんのヴァイオリンの色っぽいこと。なんとも繊細で色気があって魅力的でした。日本人にしかできない演奏ってあるよな、って改めて思いました。

 こうやって考えてみると武満のノスタルジアとブルックナーの7番って自分の中では「大自然の美しさ」つながりって感じがします。8番からは前述の通りレクイエムに近いような神々しさを感じるけど、7番からはヴェルヴェデーレ宮殿から眺める緑多いウィーンの街を思い出します。自然の美しさ、自然との対話、そんな共通点を感じる2曲です。

 期待に胸膨らませて聴いた7番はというと、感動と悔しさが入り混じった複雑なものでした。尾高さんのテンポの取り方や旋律の唄わせ方は期待通りでした。前述の7番の演奏にも通じるゆったりとしたテンポで始まった第1楽章で、「きたきた!」と思わず喜びました。ぐぐっとこぶしを効かせた感じの旋律は特に日本人の心を揺さぶるのではないでしょうか。ただちょっと残念だったのはそのゆったりしたテンポにオーケストラ側が我慢できなくて少し演奏が乱れたところがあったように感じました。もうちょっとだったのになぁ。残念!もっと残念だったのは金管!!肝心なところで音が外れたり出なかったり。金管が目立つ箇所は「ガンバレガンバレ」とヒヤヒヤしっぱなしでした。弦と金管がなんとなくちぐはぐに感じる箇所もありました。弦があれだけ迫力があるともともと音量のある金管にもプレッシャーがかかるのでしょうか。もうちょっと安心して聴きたいなぁ。

 新たな発見もありました。以前は同じNHKホールで聴いても「N響の弦は金属的、ヨーロッパのオーケストラはしっとり」という気がしたけど、今日のN響はとてもしっとり重厚に感じました。しばらくサントリーホールの日フィルばかり聴いていたのでそちらに耳が慣れたみたい。2楽章はじめの弦の重厚さといったら!ゾクゾクッってきました。ホールのせいか反射音があまり感じられず、華やかさはとても少ないけどドイツ的な音を感じました。これがN響の良さかと新発見。同時に日フィルもN響にはない華やかさと一体感があり、どっちが良くてどっちが悪い、なんて簡単に決めつけちゃいけないな、と思いました。

 4楽章最後の残響が残る中、確信犯の「ブラボー」が飛び交い、ほとんど空席が見当たらないホールは拍手が鳴り止まず、尾高さんの人気はすごいなぁ、と改めて感じました。今度は9番聴かせてください。楽しみに待ってま~す。

 ますます尾高さんファンになりました。

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